カルカリヤ道とは?

天と地の光であるアッラーに讃えあれ。審判の日に讃美の旗手である最愛の者、預言者ムハンマドに祈りと祝福がありますように、また、彼の家族と教友に救いがありますように。
タリーカ・カルカリヤ(霊性教育の道)は、しもべをイフサンの境地に到達させ、礼拝と観照において自らを達成できるようにすること:「あたかもアッラーを見ているかのように、アッラーを崇拝すること」[サヒーフ・アル・ブハーリー]、そして道(スルーク)と神聖な知識(マーリファ)において、生涯を万物の主であるアッラーのために(リッラー)捧げることを目的としている。そのため、コーランとスンナに常に従うことは、求道者にとって絶対不可欠な条件なのである。私たちは、シャリーアのあらゆる掟の背後には、霊的な神秘と光があると強く信じており、それらは、しもべが主のもとへ戻り、主以外のすべてを忘れることを可能にする。しかし、それは、それぞれの求道者に適切な霊的な薬を与えてくれるシェイフ(師匠)に従わなくては可能にならない。アッラーの御言葉にあるように:「かれは玉座の上にいる慈悲深き方です。だからかれについては、すべてを熟知する者に尋ねなさい。」こうして、求道者は、ナフス(自我)ではなく精神を通してアッラーへの礼拝に入り、ナフスが浄化され、高貴な人格を身に着け、神様への欲求が高まり、創造主へと更に引き寄せられるのである。
タリーカ・カルカリヤは、預言者ムハンマドの光が流れる道であり、これは敬虔な先人たち(サラフ)と現代の人々を結ぶ、伝授の連鎖の信憑性の証明である。この道の伝授の連鎖は、例えばアブ・ハサン・アッシャディリー師(アッラーのご加護あらんことを)を経由して、最愛の者、預言者ムハンマドまで遡る。伝授の連鎖は、この祝福されたコミュニティの特徴である。イマーム・アブドラ・イブン・アル・ムバラクは、「伝授の連鎖(イスナード)は宗教の一部であり、もしイスナードがなければ、誰もが好きなことを言うだろう」と述べている。アッラーへの道における伝授の連鎖の信憑性の印の中には、その道の中に預言者ムハンマドの光が流れているという事実がある。このような伝授の連鎖に自らを縛り付ける者は誰でも、主からの絶え間ない助けを得るとともに、主の光の観照を得ることができる。しかし、光のない連鎖おいては、祝福を得ることができるが、霊的な教育は受けられない。
これに加えて、タリーカ・カルカリヤの特徴は、言葉(アクワル)、行い(アフアル)、精神状態(アフワル)を通してスンナに従うこと、また、霊的開放(ファトフ)を素早く達成することにある。実際、この道では、求道者はアッラーの恩恵のみによって、速やかに霊的開放を得ることができる。この祝福された道の始まりは、タウィード・アル・ジャムの意味を知り、最愛の者の光の中に身を投じることであり、その終わりは、アッラーの至高の御名(イスム・アッラー・アル・アザム)を知ることに他ならない。
この道は、歓喜(ジャドブ)と道(スルーク)の間、自我消滅(ファナ)と存立(バカー)の間にあり、求道者は消滅と存立の状態に同時にある。この道における昇華は、イスム・アル・ジャーミィの様々な段階における昇華と同様に、果てしないものである。この道にはいくつかの学派が集まっており、求道者は誰でも渇きを癒す源をこの道に見出す。シェイフ・シディ・ムハンマド・ファウジー・アル=カルカリ(アッラーが彼の神秘を聖別されますように)は、このことについて次のように述べている:「我々のタリーカは起きたままでの観照のタリーカであり、観照を見ない者は、私は彼のシェイフではなく、彼は私の弟子ではない」。
しかし、この道の主な目的は、人々をアッラーに到達させ、直接見ることによってアッラーの知識に到達させることであり、また人類間の愛と平和を促進することである。この道は、被造物を創造主と和解させる手段である。その目的はまた、弟子を欲と自我(ナフス)の束縛から解放することである。しかし、弟子がこのタリーカの基本的な規則、すなわち、自分を低くして他者を高くすることを守る場合のみ、これらすべてが可能となる。自分を低くして他者を完全なものとして見る者は、自分の悪行が減り、恩恵が増え、自分の光が強まるようになる。