自分のシェイフとの出会い

旅の間、彼はアッラーへの完全な信頼という衣を身にまとっていた。他者からの援助は全て放棄し、アッラーだけに頼るようになった。成就(ウィッサル)の時が来た時、彼はアッラーの知識を持つ叔父、シェイフ・シディ・アル・ハサン・アル・カルカリ(アッラーの御加護が彼にありますように)をイード・アル・フィトルの折に訪ねた。シディ・ムハンマド・ファウジはあの時のことを次のように語る:「その夜の話は、アッラーの特質とその美しい御名についてだった。私は、ムライ・アル・ハサンと何人かの聴衆との議論に熱心に耳を傾けていた。叔父の言葉にとても印象付けられて、そして彼に尋ねた:『おじさん、私は悔い改めたいんです。アッラーは私の悔い改めを受け入れてくださいますか?』シェイフ・アル・ハサン(アッラーのご加護がありますように)は、私の恐怖と絶望の状態、そして私の意図の誠実さ、私の探求の真実に心を動かされた。彼は私に、アル・アルイの町に戻って、彼が来てウィルド(唱念)をくれるのを待つようにと言った」。シディ・ムハンマド・ファウジは、自分の中で燃え上がる悔恨の炎を消すことができなかった。アッラーは、彼の太陽を輝かせ、「ムハンマドよ、我らの許に来なさい。」と高みから呼びかけた。自分の持ち物に目を通したが、主の御許に向かう旅に相応しいイフラームの衣服は、弟の衣服以外には何も見つからなかった。まるで、これまでの人生とこれからの人生の間に障壁を作りたかったかのようであった。彼は自分の衣服に火をつけ、頭と髭を剃り、弟の衣服を着用し、覚悟して主のもとへ向かった。
裸足で歩き、頭を下げたまま泣きながらタムサマンに到着した。その時、何なのかも分からず、最愛の者、預言者ムハンマド(アッラーの御加護があらんことを)の光を見たのである。彼は叔父のザウィアに着くまで光を見続けた。彼は、シェイフである叔父にこう言った:「ウィルド(唱念)をさせて、ハルワ(隠遁修行)をさせてください。」シェイフは答えた:「私から離れなさい。私が気違いの面倒を見ると思うのか?」。ムハンマド・ファウジは要求を繰り返し、またシェイフに拒否されたが、実は自分の本心が試されていたのだ。シディ・ムハンマド・ファウジが立ち去ろうとすると、叔父が「どこに行くんだ?家に帰るのか?」本人は答えた:「いいえ、家に帰りません。アッラーに近づくために家を出ました。石と木の間にアッラーの王国を旅するのです。アッラーはあらゆる場所におられるのです」。そうすると、ハサン・アル・カルカリ師(彼にアッラーの慈悲がありますように)は、ムハンマド・ファウジが入るためにハルワを準備するように娘に命じた。ムハンマド・ファウジはこう言う:「私の意図は悔い改めることだった。しかし、アッラーは御計画を成就され、御加護を賜りました。ヘジラ1425年シャワール月の4日(木)の夜(2004年11月18日)、私は祝福されたハルワの中で非凡なものを見た。金曜日に、私は大きな開きと助けを得る上で、アル・ワッハーブ(授ける者、最も寛大な者=アッラーの美名の一つ)が私を呼び、その至高の隠された御名を教えて下さった。」これによって、真の御方であるアッラーは、偉大な贈り物を彼に与えられ、高貴な聖人たちの地位を彼に提供された。これは、アッラーからの悔い改めを求めるという彼の本心の背後にある誠実さのおかげである。実際、アッラーの悔い改めを求める者は、アッラーの満足を求めるのであり、そしてアッラーの満足を求める者は、アッラーの満足を必ず見つけるのである。アッラーの満足を見つけた者は、至高の愛の地位を得て、その結果、自分はアッラーの聴覚、視覚、全体の力となる。我々のシェイフは、自分のシェイフ且つ叔父のもとで2年間ほど過ごした。ムライ・アル・ハサン(アッラーの御加護あらんことを)が亡くなるまで、この交友関係は、善行、配慮、真剣さ、努力、ズィクル(唱念)に基づいていた。